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うっつんの小学校~大学まで

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私こと、うっつんはお調子者です。
小学校から高校までの12年間、担任から言われ続けたセリフがあります。
「うっつんの将来は、吉本新喜劇だ」

順風満帆な小学校時代

クラスで人気者の小学生

小学生の頃は明るく元気で、クラスのリーダー的存在でした。

親の仕事上、2度の転校を経験しましたが、運動神経もよかったので、人気者でした。
(小学生って運動神経よけりゃモテるよねw)

覚えているのは、まず小学2年生の夏
水泳の授業で、25mを泳ぐというテストがありました。
小学2年生では、まだ泳げない子もいたと思います。
そんな中、うっつんは25mどころか、200m泳いだところで先生からストップがかかるほど、泳ぎが得意でした。(水泳を習っていたわけではありません)

次に、小学4年生のマラソン大会。
好きな女の子がいて、「マラソン大会で1位になったら、バレンタインのチョコちょうだい」とお願いしたところ、了承してもらえました。
大会前日、寝る前に、優勝したら何て言おうと勝手に興奮した結果、風邪をひきました。結果は10位でした。

悔しくて悔しくて、家に帰ったうっつんは泣き崩れました。
以来、リベンジを誓ったうっつんは、その日から毎朝6時前に起きて、1時間ほど走るようになりました。

翌年、走り続けたうっつんは驚くほど速くなっており、以降のマラソン大会では中学に入っても、ずっと1位を獲り続けることが出来ました。
短距離は元々クラスで1か2位、学年では4位以内をキープ)

道を逸れた中学校時代

道を外した中学生

振り返ると小4から毎日、3年間走り続けた結果、バカみたいに速くなっていました。
もはや走ることが癖になっていたので、全く苦にならず、間もなく私は陸上部の顧問からスカウトされます。

中学1年の頃、1,500mを約4分50秒(高3男子の平均が5分54秒:文部科学省の平成28年度『体力・運動能力調査』)、5,000mでは学年でただ一人、19分台でゴールしました。

しかし、そんな栄光は長続きすることなく、私は左足に大怪我を負います。

それからというもの、わかりやすくグレますw
暴走族に入る以上のことはしませんでしたが、恐らく皆さんが思いつく悪いと思われることは一通りやってしまいます。

深夜に帰るなんて当たり前、親の財布からお金を盗むなんて朝飯前、〇〇はメビウス(当時はマイルドセブン)を吸い、お金がなくなれば〇アゲ、欲しいものがあれば〇引き、挙句の果ては警察に・・・。

そんな中学3年の頃、転機が訪れます。
受験というものに世間が意識した頃、模試を受けた結果が上々。
悪いことはしていましたが、要領がよかったので、成績は悪くなかったのです。
短いながらも、一生懸命受験勉強をした結果、県外の有名進学校へ補欠合格

仲間たちからは出世頭として見送られることになりました。

新しい花開く高校時代

全国2位で新聞に載る

高校からは真面目にやろうと決意するも、校内の中間・期末テストの結果に愕然とします。

補欠合格とはいえ、高校から頑張れば、真ん中いやトップクラスも狙えると意気込んでいましたが、受けども受けども学年でワースト5位以内。

いかに井の中の蛙であったか、頑張ってもあがいてもどうにもならないことってあるんだなぁと、若いながら思い知ったつもりです。

当時、偏差値が42~3まで落ちたお調子者の私に、先生は吉本新喜劇しかいけないと言いました。
(さすがに、もう聞き飽きたw)

勉強では彼らに勝てないと悟ったうっつんは、違うジャンルで勝とうとします。
これはネットで、かつ実名も出ているので伏せますが、高校時代の取り組みが評価され、全国2位という結果、新聞にも顔写真付きで堂々と掲載されることになりました。
表彰式は新宿のホテルで行われ、皇族の方と握手も交わしました。

おかげで、名門国立大学へ、センター試験なしのAO入試というもので合格することが出来ました。

少し変わった大学時代

学生起業家の大学生活

高校同様、新しい環境に意気込んだ大学生活でしたが、再び驚愕することになります。

入学式の事です。
うっつんは金髪に、煙草を吸いながら赤いジャージで出席しました。
ですが、明らかに周りの風貌・様子と違うことに気付きます。
全国でも10傑に入る国立大学の新入生としては異質な存在であることを、自覚した瞬間でした。

授業に出るも、何もわかりません。
偏差値43くらいのうっつんでは、偏差値60を超える大学の授業を聞いても、何一つとして頭に入ることはありませんでした。

1年の頃は代返が多いものの出席していましたが、3~4年の2年間は、合計しても10回くらいしか大学へ行かなくなってしまいました。高校の時に感じた劣等感を再び痛感しました。

しかし、ただでは転ばないうっつんはまた、違うジャンルで勝とうとします。

学生起業家という響きに憧れ、起業することを決意したのです。(結果、留年するw

当時、友人への誕生日サプライズとして、映像を作ってプレゼントしていました。
友人には内緒で、家族からビデオメッセージをいただいたりしたものをまとめたりしたものです。
なので、独学ではありますが、簡単な映像編集なら出来たので、それを仕事にしました。

有名なところだと、某路線が開通した際のドキュメンタリーを作ったこともあります。
今思うと、自分の実力ではなく、大学のブランド力・学生起業家という謎の力のおかげだったと思います。

振り返り

こうして振り返ると、学歴だけは一人前だと思います。
紆余曲折しながらも、何とか結果を出そうと、もがいた学生時代でした。

そんな学生時代に終止符を打ち、うっつんは社会人へと羽ばたきます。

起業した会社はどうしたかって?後輩に権利を譲りました。
どうやって就職したのかって?親のコネ入社だと思います。(多分ね)
どこに就職したのかって?大手外資系金融企業です。

華々しい活躍の学生時代と変わって、次回は泥沼の社会人時代を振り返りたいと思います。

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